宗教・学術顧問 キャプジェ・デンマ・ロチュー・リンポチェ
1927年、チベット本土のカム地方に生まれる。由緒ある転生活仏「デンマ・ロチュー・トゥルク」の生まれ代わりと認定され、仏教の蘊奥を窮めるべくラサの都へ上京。ゲルク派三大僧院の一つであるデプン寺へ入門し、そのロセルリン学堂で仏教哲学などを徹底的に学ぶ。さらに、密教の最高学府として名高いギュメー寺で修行を重ね、顕密に渡る仏教の教理と実践体系を完全に会得する。
1959年、中国のチベット侵攻でインドへ亡命。インド各地のチベット仏教寺院や大学で後進の指導にあたる。'86年から'91年まで、ダライ・ラマ法王直属のナムギェル寺で僧院長の重責を果たす。以後、北インドのダラムサラや南インドのムンゴットを拠点とし、弟子や信者の教化に専念。正しい教えの流れを守り伝えるため、南インドでしばしば大灌頂法儀を厳修。'92年、'93年、'94年に来日し、チベットハウス主催で「ヤマーンタカ」などの灌頂を授ける。